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2013年 02月 04日

体罰

学校等の教育現場、スポーツ指導における「体罰」が社会問題化しています。

一部、シンガポール等は体罰が法整備化されている国もありますが、日本では体罰に対する明確な定義はなく、虐待や暴行に該当することもあり、実に曖昧な言葉なのです。

学校教育法においては「校長および教員は懲戒として体罰を加えることはできない」とされていますが、この規定に対する刑事上の罰則はなく、教育現場の中でも曖昧化しています。

体罰とは殴る、打つといった以外にも、部活動等におけるコーチ・先輩からの指導が肉体的苦痛を伴う時も体罰とさますが、実際はその線引きはあまりにも曖昧です。

体罰の動機としては、ほとんどが「言っても分からないから体に教え込む」的な発想です。

体罰のほとんどは「一方通行的な思い」の体現です。思いは一方通行でその思いが双方向に働くことがほとんど無い、それが体罰です。

教育現場でも、仕事場でも、「指導」という場面の連続です。体罰は指導する側の思い上がりであって、正当化されるものでは到底ありません。指導側の無能の表現でさえあります。

体罰に限らず、パワハラ、セクハラも同じ類の現象です。

行っている側の意図と受け取る側の意図が全く合致しない、一方通行から生じる現象です。

本来、信頼関係、尊重関係のある者同士に、そういった類の問題は起こりえません。

指導する側の心得として、「長期に渡って信頼関係を築き、相互理解・相互尊重をベースに粘り強く指導を継続する」という基本があります。

そもそも人を指導するという行為は謙虚でなくてはいけません。違う分野では自分より優れているかもしれない人物を、ある一定の範囲の中で指導するのです。

人にはプライドがあり大切な価値観を持ち、その意識の中で人の指導を受けているのです。

「自分が絶対正しい」という傲慢な意識で指導を行なってはいけません。

人と人は対話を繰り返し、お互いの価値観を理解し合い、そして信頼関係が生まれるのです。

指導という魔物に取り憑かれずに、対話を繰り返し行なっていくことが、お互いの成長につながります。

世の中で起こっている事象を「反面教師」として、ぜひ自らの指導に生かしてください。

by melo-works | 2013-02-04 11:33 | Comments(0)


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