日本中が対コートジボワール戦に湧いている最中、父親参観で講演を聞いていました。
講師は大学教授で講演の題名は「子育てにおける父親の役割」でしたが、その題名とは関連性は無い一つのエピソードが印象に残りました。
大川小学校の悲劇です。
大川小学校と言えば、震災直後生徒を校庭に集め50分間待機させた後、裏山と反対の方向へ避難を開始し、大津波に呑み込まれ、全校児童108人の7割に当たる74人が死亡、行方不明となりました。
現在、遺族の方が訴えを起こし、裁判中となっています。
教員13名中11名も亡くなりましたが、その亡くなった小学校の教諭の中の一人が、講演いただいた教授の同僚だったそうです。子供を愛し、子供が好きで小学校の教諭になった同僚だったそうです。
問題となっている避難の判断を下した側である教諭の友人からの話は胸が痛みました。
その教諭は最後まで子供達を助けようと必死だったに違いない、間違った避難誘導をしたことを無念に感じながら死んでいったに違いない、そういう男だったそうです。
危機管理が問題視されていますが、大川小学校がある町は大川小学校を上回る死亡率であり、街全体が大津波の危機を予想できなかった状況が浮かびます。大川小学校は津波の際の避難場所に指定されていたことからも、津波は来ないと考えたのでしょう。
更に、そこに避難すればと言われている裏山は数年前に土砂崩れを起こし、地震直後の土砂崩れを心配したことが考えられます。
震度7もの揺れの直後に冷静な判断ができるか、も疑問ですが、例え冷静に判断したとしても、同じ行動をとった可能性が高いのです。
人々の記憶から徐々に忘れ去られようとしている東日本大震災ですが、未だにその爪痕に苦しんでいる多くの人がいます。生きたくても生きられなかった無念の若人が沢山いたのです。
目の前の困難に右往左往している自分が愚かであって、常に前を向いて努力していきたいと改めて感じさせられました。