震災から1年が経過しようとしていますが、復興と数々の問題が同時に進行している状況です。
仙台を中心に復興特需が浸透してきた地域もあり、復興が日本経済を後押しし始めています。
ですが、復興の地域間格差問題は放置されています。大都市の復興を優先的に進める陰で、過疎地域だった集落の復興は一向に進んでいません。
更に大量の瓦礫処理という難題が復興の障害となっています。
瓦礫処理の受け入れ方針を示した神奈川県の黒岩祐治知事と住民との対話集会が、怒号渦巻く中で開催されました。一部マスコミは「知事に対するつるし上げ集会」と表現しています。
瓦礫を受け入れる地域住民にとっては「支援」以上に「不安」が優先しています。
何故放射能を日本中にばら撒くのか、放射性物質の可能性がある物ならば一箇所にまとめることが得策ではないか、といった意見が反対派の大勢を占めます。
対して、受け入れ賛成派は、負担・不安の一極集中を是正すべきであって支援をすることをためらう場合ではない、という考えです。
細野大臣は「絆」という言葉を使いました。
しかし、今回のケースにおいて、絆という言葉を使うことはどうなのでしょうか。絆という日本人が持ち合わせている他人を思いやる心を政治家が使用し、倫理観に働きかけることが、今回のケースで適当でしょうか。
放射能の安全性に対する信憑性は、現在皆無なのです。国民は政府や行政の発表に懐疑的であり、何を信じてよいのか疑心暗鬼なのです。
安全性が確かならば反対する理由などないのです。
個人的には負担の分担に大いに賛同ですが、政治家が絆という言葉を持ち出して解決しようとしていることには憤慨します。寧ろ、国策として一箇所に集積させることも解決方法としては間違っているとは思えません。
日本国民の「心」を割ってしまう政策、沖縄の基地問題にも通じる負担の一極集中の問題は非常に難しい問題なのです。